おこめはたきたてにかぎる。

いろいろこじらせてる地方オタ

その6:推し遍歴の話






ブログを作って1年経とうとしてるのに書いたのはたった5件。ろくなこと書かないし思いつかないので放置してたら1年たってた。(怖すぎ)


書きたいことは山のようにあっても文字に認めるのがとても面倒くさくてなんとなく諦めてたけど先日「おこめっていつからオタクなの?」と第2の推しぴに聞かれて答えたところでふと考えた。


いつからオタクなの?わたし。


書きます。長くなります。厄介の出処がこれではっきりします。


おこめの始まりはたぶん小野大輔さんではなく前田公輝くんだと思う。

小学生の頃、両親は共働きで兄弟もいなく、帰ってくると家には誰もいなかった。晩ご飯までにどちらかが帰ってくるのを待っている間に見ていたのが天才テレビくんだった。

誰が出ててどんなコーナーをしてたかなんてもう忘れたし、当時は義務感のように、金曜日はドラえもんをみてクレヨンしんちゃんをみてMステを見ないと金曜日感を感じないと言わんばかりに18時からの時間は天才テレビくんと決まっていた。

だから前田公輝くん以前に誰が好きだったかなんて1ミリも記憶にない。

だか、忘れもしない小4の時の4月。新メンバー加入で入ってきたのが前田公輝くんだった。一目惚れだった。真っ白い肌に垢抜けない雰囲気に滑舌の悪い声。全部が好きだった。

毎日見て、毎日録画した。ミニドラマに出ようもんなら20回ずつは見た。歌を歌うとなれば毎日毎日聞いて歌詞を書いて必死に覚えてCDを買った。舞台はテレビ放映されたものをビデオテープに録画して擦り切れるほど見た。

好きで好きで仕方なくて泣いた日もあった。

そう、これがガチ恋の始まりである。

次第に好きの気持ちが募っていって毎月手紙を書くようになった。届いてるのかも定かじゃないし読んでるのかもわからない手紙を毎月書いた。正直辛かったことしか覚えてない。

当時、一緒に前田公輝くんのファンをしていた友達がいて、休み時間になると2人で彼のプロフィールを丸暗記してクイズを出して遊んでいた。今思い返すと本当に怖い子どもだったと思う。そんな子が職場にいたら私ならきっと止める。


ただ、てれび戦士には「寿命」があって中3になる前には卒業を迎えてしまう。

だから私が中学2年生になる頃には彼は卒業してテレビからいなくなってしまうことはよく分かっていた。

そういうことを悟り始めた頃に、虚無感を感じていたのもありいろんなジャンルに手を出した。その中の一つがORANGE RANGEだった。

当時好きだった人(ガチ恋を拗らせていてもその頃はまだまだ子どもだったおかげで現実の世界にもちゃんと好きな人がいたんだよ)の影響でORANGE RANGEを聞くようになったのがきっかけだったと思う。

最初は話を合わせたくて聞き始めたのにいつの間にか自分の方がどっぷりハマっていた。今はもう脱退してしまったが、ドラムの彼が大好きだった。可愛い顔でニコニコと楽しそうに演奏する姿に惹かれた。

そうして前田公輝くんとドラムの彼を並行して応援するようになったが私の予想通り前田くんは中2でてれび戦士を卒業してしまい、ドラムの彼も早々にグループを脱退してしまって私の熱もすぐに冷めてしまった。

その次に好きになったのが嵐だった。Mステでキラキラしてる彼らになんとなく惹かれた。不器用そうだけど優しそうな相葉雅紀の顔に惹かれた。ラジオを聞くようになって毎週声が聞けるのが楽しみだったし、いなくなった推しの穴を埋めてくれていた気がした。深夜番組を録画して見るようになった。ただただ純粋に楽しかった。ひとつ言えることはそれこそ「嵐」のように過ぎ去っていった沼の一つだった。半年もしないうちに飽きていた。

それと同じタイミングで俳優さんにハマった。きっかけはたぶん雑誌か何かだったと思う。小池徹平くんがそこにいた。ガチ恋パート2の始まりである。

とにかく顔が好きだった。だけど演技を見て声も好きだと思った。実は関西出身で素の時は関西弁で話しをする彼にどんどん惹かれて気付いたら好きになっていた。またこれも毎月手紙を書いては好きだのなんだの言っていた気がする。

ドラマを見ては泣き、雑誌を見ては泣き、お近づきになれないものかと毎日悩んだ。だが当時中学生の私に「遠征」という概念はなく、行きたいと思っても行ける環境になく、頭を抱える毎日だった。

その時、小池徹平くんがインディーズで組んでいたWaTというグループがメジャーデビューすることになった。ほんとに嬉しくてCDも全種類買ったし毎日聞いた。

そしてMステ出演が決まった。確かこれはCMで知った。嵐で培った録画力を発揮して、当たり前のように録画をして当日もリアルタイムで見て感極まる彼を見て私も泣いた。

次の日、改めて可愛い彼を拝もうと思ってつけたビデオに関ジャニ∞が映っていた。なんとなく見流していたが派手な風貌に賑やかな声、大人数の男性グループ。そりゃもう当たり前のように目を引かれた。

気付いたらWaTよりも関ジャニを見ていた。最初は錦戸くんがかっこよく見えた。だけど2回3回と見ていくうちに大倉くんがかっこいいことに気づいた。


ここまで割愛していたが私はハマると収集癖が凄い。ORANGE RANGEの時も好きになったのは「花」がリリースされた時だったがそれ以前に発売されたCDもDVDも全て買ったしなんなら沖縄限定版のミニアルバムも何故か手元にあった。小池徹平くんにハマった時には出ている雑誌は全部買ってたしCDを買うだけに飽き足らず、お店にあるポスターを貰えないか交渉してはかっさらっていっていた。

だから関ジャニ∞にハマった時も関風ファイティングの時だったが(これを言うと大体のエイターに嫌われる)それ以前のCDもDVDも全て初回盤と通常版を買い揃えたし放送圏外だったバラエティー番組もオタクの友達からダビングしてもらって見ていた。行かないコンサートのグッズも全部代行してもらって揃えていた。


そんな収集癖の話はさておいて。

大倉くんにハマった私だったが推し変までが早かった。ずっと見ていくうちに異常なまでにキャラの濃い人がいることに気付いた。安田章大だった。どぎついキャラと風貌に唯一無二の個性が大好きだった。ガチ恋パート3である。

ただこれまでと違って彼らはアイドルであり、人気も知名度も今までの推したちと比べるたずば抜けてあった。初めて同担拒否というものになった。

好きになったり少し飽きたり貶したりを繰り返しながらジュニアに手を出してみたり他グループの活動を気にしたりしながらまあまあ楽しいオタク生活を送っていた。


時は少し戻り中学1年の冬。この時にも好きだった人がいた。この人は生粋のアニメオタクだった。

また話を合わせるために小池徹平の沼とジャニオタと並行しながらアニメを見始めた。ラノベを読み始めた。それが「涼宮ハルヒの憂鬱」だ。

初めは単純にキャラクターが好きだったしストーリーが好きだったしもともと読書好きだったのも相まってすぐにハマった。すぐにアニメ化も決まり、当時ガラケーの拙い画質でストリーミング再生を駆使して必死に見ていたことを鮮明に覚えている。その時に好きになったのが小野大輔さんだった。初めて声だけで人のことを好きになったし、気付いたらまた彼よりもアニメや声優を好きになっていた。


そんなDD生活をしながら中学を無事卒業した頃にはジャニーズにはすっかり飽きていた。嫌いになったわけではなかったがお金をかけて追いかけ続けることに限界を感じていて静かに身を引いていた。高校生になったとき、自分の手元に残ったものは大量のグッズやCDと声優沼だった。

当たり前のようにアニメオタクをしていたときに出会ったのがニコニコ動画である。

パソコンもなくスマホもない中でよく見ていたなと感心するがほんとに毎日毎日動画を見ていた。VOCALOIDにハマった。

ボカロが好きなことを聞きつけた先輩が「アマなのにプロ並みに上手い歌を歌うやつが動画をあげたりしている」と教えてくれて歌ってみたの世界にハマった。

そこから動画を見漁るうちに「両声類」にハマってひと里さん、赤飯さん、vip店長さんとどんどん沼を広げていった。高校生活はそれで終わった。それだけしかなかった。本当に引くほどのオタクだった。途中で芸人さんも挟んだがにわかレベルだったので割愛。

専門学生になるとオタクをするよりも友達と過ごすことが楽しいということに気付いて少し離れた時期もあったが類は友を呼ぶとはよく言ったもので仲良くなった友達はアニメオタクだった。踊り手厨の子もいた。世間とは広いようで狭いのだ。お陰様でまたニコニコ動画に戻ってきた。

専門の4年の時に卒業制作の材料にならないかとニコニコ動画を見漁っていた時にあおいくんと出会った。

そして今に至るのである。このあおいくんとの出会いについてはまた長くなるので後日書きたいと思うが本当に偶然だった。

彼のことは大昔から知っていたからこそこんな風に応援できるようになるなんて、偶然以外の何物でもないし奇跡のような瞬間だった。

そして、彼との時間の合間を縫って出会ったのが今の第2の推しぴとも言えるキャス主。

「キャス主」にハマるなんて、と少し自分のことを卑下したものだが、彼は違う。単純に声が好きだとか対応が優しかっただとかそんなことは当たり前だが何よりも私の話を親身に聞いてくれて「いつもありがとう」「大切なリスナーだ」といつも口にしてくれるその人となりを好きになった。


ここまで書いてようやく最初の話に戻ると、私のオタク人生は小学4年生の時から続いている。

どの人たちの時も、毎日が楽しくて幸せで生きる元気を貰ってきたが、辛いことも山のようにあった。

オタクだったことで所謂、「普通の人」として自分の青春を謳歌したことがあまりない。

それでも今の私はこの人たちに出会ったことで感じたもの、知ったもの、そしてそれらを通じて出会った仲間と過ごした人たちとの時間で出来上がっている。そう考えれば「オタク」も悪くないもんだな、と改めて思うわけだ。


きっとこれから先また飽きたり辞めたりしながら推し変歴は増えていくんじゃないかな、と考えているがそんなことはその時がきたら考えればいい。

今は今の好きなものを、好きな人を精一杯追いかけて生きていきたい。